トルコと日本の友好の歴史
1800-1899
· 1873年
フランス滞在中の岩倉使節団により、一等書記官の福地源一郎が浄土真宗僧侶の島地黙雷を伴い、立会裁判諸制度の視察のためにオスマン帝国の首都たるイスタンブールに派遣。
· 1875年
上野景範駐英公使がオスマン帝国との国交樹立交渉を試みる。
· 1876年
駐英公使館の一等書記生の中井弘と駐オーストリア公使館一等書記官の渡辺洪基が日本帰国途上にイスタンブールを訪問し、オスマン帝国の外相たるラーシド・パシャらに謁見。
· 1878年
海軍軍艦の清輝がイスタンブールを訪問し、艦長の井上良馨中佐がスルタン・アブテュルハミト2世に謁見。
· 1881年
外務省御用掛の吉田正春・陸軍大尉の古川宣誉らがイスタンブールを訪問し、スルタン・アブテュルハミト2世に謁見。
· 1887年
小松宮彰仁新王・妃殿下がイスタンブールを訪問し、スルタン・アブテュルハミト2世に謁見。
· 1888年
明治天皇より、スルタン・アブテュルハミト2世に対して小松宮彰仁新王・妃殿下への厚遇に対する返礼親書及び大勲位菊花大綬章が奉呈。
· 1889年
スルタン・アブテュルハミト2世に発意により、明治天皇に親書とイムティヤ-ズ勲章とを奉呈すべく、軍艦エルトゥールル号がイスタンブールを出港。
· 1890年
イスタンブール出港11ヵ月後にエルトゥールル号が日本に到着し、特派使節オスマン・パシャらが明治天皇に謁見。約3ヶ月間に日本に滞在。帰途上9月16日にエルトゥールル号が和歌山県・大島村・樫野崎付近で海難し、約500名の乗組員が死亡。生存者の69名が送還のために日本軍艦の比叡・金剛がオスマン帝国へ派遣。内務省の指示により国内潜水業者の協力を得ながら大島で遺体・遺品の徹底的回収の継続。
· 1891年
比叡・金剛のイスタンブール訪問。自社の集めた義損金(約4.247円)献呈のために便乗した『時事新報』記者の野田正太郎はスルタン・アブテュルハミト2世に請われて士官学校の日本語講師として残留(~1892年)。和歌山県が『大阪朝日新聞』の義損金(約152円)などをもとに大島村に慰霊碑を建立。
· 1892年
日土間の貿易起業調査のために山田寅次郎がイスタンブールを短期訪問、その際に自身らが集めた義損金(約92円)を献呈。
· 1893年
スルタン・アブテュルハミト2世より明治天皇に馬2頭贈呈のために侍従武官アフメト少佐が日本に派遣。オスマン帝国より大島村に3.000円の謝礼金が贈与。和歌山県の決断で同金額が村の基金とされる。
· 1894年
小松依仁新王・長崎省吾らがイスタンブールを訪問し、スルタン・アブテュルハミト2世に謁見。
· 1896年
陸軍大佐の福島安正が欧亜歴訪途上にイスタンブールを再訪。徳冨蘇峰・深井英五がイスタンブールを訪問。
· 1897年
中村健次郎がイスタンブールに到着し、ペラ大通りに面する好立地にある中村商店の店主に就任(山田寅次郎は同店主管)。
1900-1999
· 1904年
オスマン帝国より陸軍大佐のペルテヴ・デミルハンが観戦武官として中国・日本に派遣(~1906年)。
· 1910年
陸軍少将の宇都宮太郎が日土条約締結に向け積極的に活動。日本人初のメッカ巡礼を果した山岡光太郎がイスタンブールを訪問。
· 1911年
陸軍中佐の村岡長太郎が駐在武官としてイスタンブールに着任(~1913年)。
· 1914年
第一次世界大戦勃発。中村商店がイスタンブール撤退し、中村栄一が帰国し、雇用人のパスカル・レイモンドが継承して「富士山中村商店」を開店(~1960年まで)。
· 1921年
シベリアにおけるトルコ人捕虜をイスタンブールへ移送中の日本船平明丸がエーゲ海でギリシャ軍により長期抑留(平明丸事件)。特命全権公使の内田定槌が連合国と同様に高級委員名義にてイスタンブールに着任。
· 1923年
内田特命全権公使が特命全権大使に昇格。内田大使の帰国にて笠間杲雄一等書記官が臨時代理大使に就任。
· 1924年
ローザンヌ条約の発効によって日・土の両国間に初めて国交樹立となる。
· 1925年
イスタンブールに日本大使館、東京にトルコ大使館が開設。大阪商工会議所内に日・土貿易協会が設立。
· 1931年
高松宮宣仁親王・妃殿下がトルコを訪問し、ムスタファ・ケマル・アタチュルク大統領に謁見。
· 1934年
バーター貿易のために日・土貿易組合が設立。日・土貿易仮協定が調印。
· 1937年
日本大使館がイスタンブールからアンカラに移転。日・土貿易協定が調印。
· 1940年
1939年12月に発生したアナトリア大地震によって被害を受けた被災者に対して日本赤十字社からトルコ赤新月社へ1.000円が寄贈。
· 1942年
土・蘇経路は戦時において唯一の日欧経路。
· 1945年
トルコ大国民議会で対日国交断絶を決議。アンカラの日本大使館が閉鎖。
· 1951年
サンフランシスコ平和条約の締結(1952年発効)により東京にトルコ総領事館が開設。
· 1952年
東京にトルコ大使館が再開。
· 1953年
アンカラに日本大使館が再開。
· 1955年
日・土貿易支払協定が締結。
· 1957年
日・土査証相互免除協定の締結(1958年発効)。
· 1958年
アドナン・メンデレス首相が来日。
· 1959年
日・土間のオープン・アカウント制度廃止、自由貿易へ移行。
· 1965年
イスタンブールに日本領事館が開設。対日トルコ政府奨学金制度が設立。
· 1972年
在イスタンブール日本領事館が総領事館に昇格。
· 1974年
大島にトルコ記念館が開館。
· 1975年
串本町とメルシン市とが姉妹都市提携。
· 1984年
日本・トルコ議員友好連盟が設立。アンカラで土・日協会が設立。
· 1985年
トルコ・日本議員友好連盟が設立。トルコ航空機がテヘラン在住日本人をイランから救出。オザル首相夫妻が訪日。
· 1989年
日・土航空協定の締結により成田~イスタンブール間の直行便が開設。
· 1992年
スレイマン・デミレル首相夫妻の訪日。日土投資保護協定の締結(1993年批准書交換)。東京外国語大学ペルシア語学科内にトルコ語専攻の設立。本田技研がアナドルと合資で、アナドルHONDAを設立。
· 1993年
日土租税協定の締結(1994年批准書交換)。東京外国語大学中東学科トルコ語専攻が設立。カマンの三笠宮記念庭園(日本庭園)が一般開放。
· 1994年
アダパザル市の工場でトヨタとサバンジとの合弁事業トヨタ・サが自動車生産開始。
· 1997年
アンカラに土日基金文化センターが開設。
· 1998年
イスタンブール近郊ゲブゼ区のアナドルHONDAで自動車生産開始。カマンに中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所が開設。
2000-Present
· 2000年
東京モスク(東京ジャーミィ)及びトルコ文化センターが開設。
· 2001年
トヨタ・サバンジ合弁事業からサバンジ撤退、トヨタ100%出資のトヨタ・トルコ(TMTT)に改組(2009年に累計生産100万台を突破)。
· 2003年
「日本におけるトルコ年」。
· 2005年
渋谷区(東京都)とウスキュダル区(イスタンブ-ル)とが友好都市協定を締結。
· 2008年
アブドゥッラー・ギュル大統領の訪日、串本町大島を訪問。
· 2010年
「トルコにおける日本年」。